本質に向き合う
2018/03/26
第1営業部・シュウトウです。
今更ながら、物事の本質に向き合うのは難しいことだと感じています。
何かに取り組むとき、本質を見誤ったり、本質をつかもうとする努力を怠ると、結果として失敗したり、遠回りを余儀なくされます。
また相手がいる場合、こちらが本質を正確に伝えられないと、相手の判断を誤った方向へ導くことになり兼ねません。
本質とは、一般的には「物事の根本的な性質・要素。そのものの、本来の姿」、「あるものがそのものであると云い得るために最低限持たなければいけない性質」と定義されるそうです。
物事の「根本的な性質・要素」を理解し、または「そのものの、本来の姿」をありのまま伝ようとすることは、良好な人間関係を築くうえではとても大事なことだと思います。
しかし、多くの人の利害関係が絡み合う社会の実相は複雑怪奇で、本質に触れるためには相応の経験を積み、力をつけていく努力が求められます。
また、社会との関りや人間関係において「根本的な性質・要素」や「そのものの、本来の姿」を脚色することなくストレートに他人に見せることは意外と勇気のいることで、もしそれを実践すると、ときには損な行為として、ときには未熟な振舞いとして評価されてしまうこともあります。
そうであるが故に、我々は処世術として(つまり、自分が損をしないために、または成熟した人間として認めてもらえるように)あらゆる修飾や技術を駆使して、あえて本質に触れることを避け、または本質をさらに深く隠すような対応方法を選択しているのだと思います。
それに気づいていて、あえて本質に積極的に触れようとすることは勇気が必要ですし、さらにそれを社会と共有していくための知恵も必要です。
物事の本質を見定めて、直接的にアプローチしていく努力、本質を隠さずストレートに表現していく勇気、さらにそれらを他人と共有し、誠実な関係を構築していく知恵、それがより良い人間関係の基礎になると私は確信しています。
さて、それでは実際にできているのか?
お客様の要望の本質を見極めるべく、しっかり向き合ってお話を聞く。
弊社からのご提案やご報告の際は、本質を明らかにしてお話する。 etc...
常日頃意識はしているものの、「言うは易し、行うは難し」というのが実状のようです。
誠実に実践しているつもりでも、やはり力不足であったり、弱い心で本質から逃げてしまうことがあります。
そのときには気づかず後々後悔する、なんてこともあります。
未熟ですね。
これからも研鑽を積んでいくべき大事な課題です。