桐生まつり

   

第1営業部のシュウトウです。
今更ですが「周東」と書きます。

珍しい苗字のためよくルーツの話になりますが、私は群馬県桐生市の出身で、桐生市ではそれほど珍しくない苗字です。
「周藤」と書く方もいらっしゃいます。

さて、その桐生市では、毎年8月第1週の金・土・日の3日間、町を挙げて行われる「桐生八木節まつり」というお祭りがあります。
もともとあった春の商工祭、夏の祇園祭・七夕祭・花火大会、秋の桐生祭、その他地域の祭礼などをまとめて、昭和39年に第1回「桐生まつり」として開催されたもので、昭和63年に「桐生八木節まつり」と改称し現在に至っています。

「八木節」とは、隣接する栃木県足利市が発祥の民謡で、お祭りではその独特の歌詞や節回しをもつ音頭に合わせて花笠踊りを踊ります。
明るく賑やかで、盆踊りよりも派手なので、北関東の暑い夏のお祭りにはぴったりだと思います。

期間中は夜になると会場となっている町のメインストリートが車両通行止めになるのですが、びっしり並んだ屋台と大勢の人でごった返します。
一定間隔に櫓が組まれて「八木節」お囃子と花笠踊りが繰り広げられるので、櫓周辺では人の密度はさらに高くなり、もみくちゃにされるほどです。

<本町6丁目の八木節櫓>

私はこの「桐生八木節まつり」と共に育ったので、お祭りといえばこれ。
これこそ夏祭り。

…ってなわけで、我が子にもルーツを体感してもらうべく、一昨年初めて日程をあわせて連れて行ったところ、当時12歳の長男が「人生で一番楽しかった! また行きたい!」と言うもので、今年も家族を連れて行ってきました。

見どころはいくつもあるのですが、今回は表向きの派手な面だけではなくて、お祭りの本質的な部分にも目を向けてもらおうと、喧騒渦巻く会場の”表向き”の中心地から少し離れた、桐生市本町3丁目~4丁目に足を運びました。
そのエリアでは屋台などは出ておらず「八木節」の櫓もありません。
でも、実はこのエリアこそ本来のお祭りの中心地だったりします。

その界隈には「八木節」の派手な提灯ではなく行灯がぽつりぽつりと並んでいて、屋台の明かりもないため、ちょっと地味な印象を受けます。
当然、人通りもあまり多くはありません。

しかし3丁目と4丁目では、それまでの櫓の代わりに、あの京都の「祇園祭」で見るような鉾が出ています。
3丁目の「翁鉾」と4丁目の「四丁目(しちょうめ)鉾」は、いずれも高さ9mほどの立派なもので、四方には全面細緻な装飾が施されており、最上部に生人形が飾られています。
「翁鉾」は翁面をつけた「源頼朝」、「四丁目鉾」は「素戔嗚尊(スサノオノミコト)」です。

現在は「桐生八木節まつり」に統合されていますが、もっとも長い歴史をもつのがこの「桐生祇園祭」で、記録によると起源は明暦2年(1656年)までさかのぼるのだとか。
今は2台となっている鉾も、江戸時代には6台(1丁目から6丁目まで各1台)あって、曳き違いなどの競い合いも盛んに行われていたそうです。
そのため現在でも当時の中心地であった3丁目と4丁目では「八木節まつり」ではなく「祇園祭」を行っている、というわけです。

<鉾の曳き違い>(Photo by T.Tanaka)

そして京都と同様に「桐生祇園祭」も「八坂神社」の祭礼ですので、期間中は祭神である須佐之男命(=素戔嗚尊)が神輿に乗って会場に下りて来られます。
家族全員で仮宮にお参りし、お札を頂いてきました。

<八坂神社の仮宮>

「八木節まつり」は賑やかで楽しい、子供の頃と変わらない懐かしいお祭りでしたが、改めて「桐生祇園祭」として見てみると、自分が生まれ育った町の歴史の息吹を感じられ、その歴史の一部に自分の人生の端緒があったことを少し誇りに思えるような、そんなお祭りでした。

この場を借りて、当日忙しいなか案内してくれた親友に感謝!

とても良いお祭ですので、皆さんも機会があればぜひ足を運んでみてください!

>>> [桐生八木節まつり(公式サイト)]
>>> [桐生市/桐生八木節まつり]

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