<よい言葉③> 自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士

   

シュウトウです。

突然おかしな話ですが、むかしからずっと「紳士とは?」という疑問に囚われています。
ここで言う「紳士」とは、いわゆる「ジェントルマン(≒上品で礼儀正しく、教養の高い立派な男性)」の意で使われる「紳士」のこと。
果たしてどんな要素を備えていたら「紳士」と言えるのかが分からず、でも「紳士」という言葉の持つイメージに対しては漠然とした憧れを感じる、そんな微妙な心持ちにモヤモヤしていました。
そもそも、明確な定義はないのかもしれませんが、でも「紳士」になるために何かしらの足掛かりは欲しいと思ったわけです。

もうかなり前のこと、何かのテレビ番組で俳優の故・岡田真澄さんが「紳士とは?」という質問を受け、それに対して、

「誰も見ていないところで、バターナイフを使える人」

というような趣旨の発言をされていたのを見たことがあります。
若かりしシュウトウは、その回答に「おお!」っと歓喜の雄叫びをあげる寸前でしたが、しかし、よく考えると、バターナイフって何のこと?

岡田さんの発言の意図するところは、フレンチのコースでは料理ごとにカトラリーを変えるため、ナイフだけでも何本も用意されますが、例えばメインの肉料理に取り掛かっている最中にバターを取りたくなった場合、その場に自分以外誰もいないかったとしても、手に持っている肉料理のためのナイフを一度置き、バターナイフに持ち替えてバターを取れるか、ということであり、かような状況は私ごとき平民の日常性からは甚だしい乖離があるため、何の参考にもならないということに気づきました。

まぁ、意味するところは何となく分かります。
ただおぼろげに分かったような気にはなっても、依然それは抽象性のベールをまとったまま、明確な定義を持たずに漠としてあり続けます。
世間一般にはどうでもいいこと、でも個人的にはものすごく気になる大問題。

しかし、ある日突然、その瞬間はやってきました。

村上春樹さんの代表作『ノルウェイの森』を読んでいたときのこと。
主人公「ワタナベ」とその先輩「永沢」とのやりとりから放たれた「永沢」の一言に震えました。

「自分がやりたいことをやるのではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」

あぁ、そうか、そういうことか、と悟りました。
すべてが落ち着くべきところに落ち着いたと感じました。
「紳士」の定義は、すなわち「紳士」の魅力そのものだと知りました。

さらに言うなら「やるべきこと」についても嫌々やるのではなくて、「自分がやりたいこと」=「やるべきこと」となるべく日々を積み重ねる、それこそ「紳士たること」なのではないかと思います。
そのように「紳士たること」を捉えるならば、それは一生追求する価値のある行動規範となり得ます。

それに気づき、自らに課し、たゆまず挑み続けている人こそ「紳士」。
よい言葉によって、ようやく明確な”かたち”を得た「紳士」。

文豪の紡ぐ言葉には、時として大いなる力があるということを実感した瞬間です。

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