バンドマン

   

こう見えてバンドマン。
シュウトウです。

じつは10代の頃からずっと音楽を嗜んでおりまして、若かりし頃は一時これで食っていけないものかと考えたこともありましたが、まぁ当然ながら挫折しまして、その後はキッパリ趣味と割り切ってはいるものの、ライフワークとして細々と続けております。

以下略歴です。

小学4年生からピアノを習うも、先生が呆れるほどの無気力。
でも音楽は好き。

中学時代はビリー・ジョエルなどに惹かれて、こそこそピアノの弾き語りをするようになるが、ピアノ発表会のトラウマで人前での演奏は拷問と感じる中二病的自意識過剰状態。

高校生になると中二病は緩解し、苦手意識の強かった鍵盤はあっさり捨ててギターデビュー。
同時期 QUEEN のフレディ・マーキュリーに触発されて歌唱に目覚め、同級生と人生初のコピーバンドを結成。
ギター&ボーカルとしてアナーキーな初舞台を飾る。

この頃から歌の楽しさを実感するようになり、本格的に声楽の勉強を始める。

高校卒業後、貴重なご縁と持ち前の過度な行動力で社会主義崩壊直後の極東ロシアへ移住。
謎のセクシー未亡人からロシア語でロシア語を習うというカオスにもめげず、ロシア人音楽家のもとで歌とサキソフォンを勉強する。
マフィアが暗躍する闇社会と民主化後のハイパーインフレ、気温-40℃の極寒の冬と猛烈な蚊の襲撃にのたうち回る夏の夜を経験し、6か月後、ひと回り小さくなった身体とふた回り大きくなった心を携えて帰国。

異文化という言葉の本質を痛感しすぎた結果、もう海外はいいかな、としみじみ思う。

とはいえ、ロシア語が多少話せるようになったことだし、きちんとロシア語を勉強しよう、ということで遅ればせながら国内の大学へ進学。
はじめてロシア語の文法を知る。

大学では同級生(でもみんな年下)といくつかのロックバンドを組んで遊ぶのびのびとした学生生活を謳歌。
ノリではじめたアカペラコーラスグループが本格的になるなか、とあるコンテストで優勝しちゃったことで調子づく。

卒業後ものらりくらりしながら、コーラスグループの活動を継続。
最盛期には営業仕事を中心に年間250本ほどのステージをこなし、「オレたちプロになれるんじゃないか?」と盛大な勘違いをする。

でも、人生は無常。あゝ無情。
ちゃんと働かないと。

と、ようやく人並な人生観を取り戻し、社会復帰。

なんとかかんとかで、現在に至る。

こんな変遷を辿ってきたわけですが、最近また懲りずにバンド活動したりしてます。
自分も含めメンバーはみんなおじさん。
でも、それが良いんですよね。
みんな同じような経験を重ねてるから、共通の言語で話せる感じで。

それに、子供に向かって「お父さんは昔バンドをやっていたのだよ」などと言うより、「今もバンドマンだぜ!」と言いたい。
だからライフワークとして、常に自分の身近に置いておきたいと思っています。

そういえば、最近 QUEEN の伝記的映画『ボヘミアン・ラプソディ』が上映されていますね。
自分史のなかで QUEEN とフレディは偉大な存在なので、若い世代を中心に再注目されるのは嬉しい限り。

ますます触発されそうです。笑

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