延慶寺の兜梅
今度は梅の見頃に合わせた帰省計画を立てようかな。
そう思っている今日の長田。
こんにちは。
以前、西区の蕎麦屋に行ったときの話でもしましょうか。
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そこのお店のご主人は、なんでも九州ファンらしく、店内の壁に九州の地図が大きく貼ってある。
聞けば、長崎の諫早に友人がおり、割と頻繁に遊びに行く関係で九州が大層好きなんだそう。
私の出身が天草だと聞くと、
「ほんとかい」「ちょっと待って、ほら、行ったことあんだよ」
店にいくつも置いてある文庫本の中から一冊を取り出し、おもむろに見せる。
表紙を見れば、『街道をゆく/島原・天草の諸道』(司馬遼太郎)
「司馬遼太郎が好きだから、友人のとこ行くついでに、その本に載ってるところに行ってみてんだ。」
開いて指さしたページの挿絵には、私の実家の近所の地名も。
自分の田舎をそう言うのもなんなんですけど「よくあそこまで来ましたね」とご主人のマニアックさに思わず笑ってしまいました。
~・~
そんなこんなで、今日のコラムは、そんな店主からもろに影響を受け、まさにその文庫を最近読んでいるのですが、育ったはずの地元のことなのに私も全然知らないことがあまりにたくさん載っていたので、驚き冷めやらぬうちにとキーボードを叩いている次第です。
なお、タイトル『延慶寺の兜梅』は、天草市の延慶寺というお寺にある梅の木で、
天正17(1589)年
当時天草下島を治めていた天草氏が、新たに肥後の領主となった小西行長に従わなかったため、加藤清正と小西行長により攻められた。
その合戦の折、天草方の武将木山弾正の妻「お京」が鎧兜を身にまとい敵陣の中に割って入ったが、兜の緒がこの梅の枝にからまったのを契機に討ち取られてしまった。
お京は、その最期に「花は咲けども実は成らせまじ」とする念を込め、以来、この兜梅には実がならなくなった。
そういう言い伝えが残る白梅なんだそうです(天草市HPほか参照)。
兜梅については、遼太郎さんも上の文庫の中に「ここの梅の花は、花弁の肉質があつく、白さに生命が厚っぽく籠っているような感じがする。とにもかくもこういう梅の木も花も見たことがなく、おそらく今後も見ることがないのではないかと思われた。」なんて書くもんだから、
「そがんして言うなら見とかんばつまらんど(そんな風に言うなら、見とかなきゃダメだよね)」と、つい気になっての冒頭雑感でした。
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ちなみにその日の蕎麦屋には、私とは別に長島(天草下島に隣接する、鹿児島県の島)出身で札幌在住の方もたまたま来店していて、1日に2組も九州方面がらみの来客があるのは珍しいと、ほんとご主人の喜びぶりといったらありませんでした。
私からするとそんなご近所の島の人とのすれ違いが、まさかこんな北の大地であるもんかなと思いましたが、まぁあるんですね。
九州好きのご主人に引き寄せられたかな。
はたまた、蕎麦屋だからこそのニアミスでしょうか。
お側(そば)だけに。
おあとがよろしいようで。