「議論」とは何ぞ
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
第1営業部の周東です。
新年最初の話題は「議論」というものについて。
年末年始の休暇中にとあるYouTubeチャンネルで、2ch開設者のひろゆきさんの代名詞ともなっている「それってあなたの感想ですよね」について客観的に分析しつつ、「議論」のあり方を論理的かつ分かりやすく解説してくれている動画を見ました。
内容はもちろん、解説がとても上手で感銘を受けました。
ウエストランド・井口さんから見ても、この人は警察に捕まらないと思います。
Youtubeの「【論理学】”それってあなたの感想ですよね”との付き合い方」という動画ですので、ぜひ検索してみてください。
さて、動画を見て頂ければこの先の話は蛇足でしかないのですが、一応周東の主観も交えつつ簡単にまとめてみたいと思います。
動画では「議論」の構造について、次のように解説しています。
まず、「議論」で発信される「主張」と「意見」とを明確に分ける必要があります。
「主張」とは、自分が通したい考えや判断。
「意見」とは、別に通したいわけではない考えなど。
そして、「主張」するためには「論拠」が必要になります。
「論拠」とは、簡単に言えば「根拠(=データやファクト)に基づくと、こういう考え方が妥当なのではないか」というロジックの部分。
「議論」するには、「議題」に対する「主張」が必要で「意見」だけでは成り立ちません。
ひろゆきさんの「それってあなたの感想ですよね」という発言は、文脈上、相手方が断定的な誇張表現を用いてなされた発言が、論拠を示していないので、「『意見』として言っているに過ぎないですよね」という意味で使われている、ということが解説されています。
さらに、相手の「主張」を否定するのが「反論」ですが、「反論」するためには必ず「反証」、すなわち相手の「主張」が誤っていることを明らかにする証拠がセットで必要です。
これも「主張」と同様に、「反証」なく相手の「主張」を否定することは「それってあなたの感想ですよね」ということになります。
まずは、以上の構造をしっかり理解したうえで、「主張」や「反論」をするというのが「議論」のルールです。
それから、多くの人が勘違いをしがちなところで、しかもとても大事なことですが、「議論」を行うときには絶対的な前提が二つあります。
1 「議論」とは、「議題」に対する解決策(=仮説)を論じ合い、合意形成を目指すことが目的である
相手と「主張(=仮説)」は違えども、「議題」に対する最良の解決策を見出そうと相互に努力するスタンスで話し合うことが「議論」です。
2 相手の「主張」と相手の人格は別物である
「主張」や「意見」の対立は、「議論」における最良の解決策を見出すために必要・不可欠ですが、その「主張」等が発言者の人格を決めるものではない、という前提を理解することはとても大事です。
動画では、この二つの前提を理解していない参加者の「議論」は「治安の悪い議論」であると説明されていて、これも本当に首肯できます。
個人的には<相手を「論破」したら勝ち>というような昨今の風潮や、相手や特定の集団を見下して「頭が悪い」などの人格否定としか取れない表現を多用する一部の有名人に下品さを感じていましたが、確かに「治安が悪い」という表現は言い得て妙だと思いました。
「議論」や「意見交換」は、人と人とのコミュニケーションや社会づくりにとても大事なことだと思います。
でもその前提やルールを失ってしまうと途端に「治安の悪い」ものになってしまい、当然そんな場の当事者にはなりたくないですから、他人との「議論」や「意見交換」そのものに対して消極的になってしまいます。
これはとても残念なことです。
周東は、以前から自分の「意見」は積極的に他人に伝えるようにしています。
自分の「意見」を率直に伝えつつそこで止める、他人の「意見」をしっかり聞きつつそこで止める、ということを意識的に行っています。
上記のように「議論」や「意見交換」をしないことは人間関係の形成にとてもマイナスです。
重要な局面で合意形成を目標にした「議論」をすることも大事ですが、もっと肩ひじを張らない「意見」を日常的に上手に伝え合うことも、人間社会の良い基盤形成につながると思います。
そういう意味で、周東がどう考えているのかを相手に伝えておくことには大いに意義があると考えています。
そして、「意見」を受けた相手がそれをどう解釈して、どう評価するかは相手に委ねる、というスタンスこそが日常における最も相手を尊重した紳士的なコミュニケーションのあり方ではないでしょうか(個人の感想です)。